ごあいさつ

 『中山寺由来記』に、「養老2年(718)徳道上人が62歳のとき、閻魔大王に会い、巡礼によって人々を救うように託宣を受けるとともに起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻され、この宝印に従って霊場を定めた」と記述されています。
 この三十三という数字には意味があり、『法華経』普門品第二十五(観音経)に、観世音菩薩が33の姿に身を変えて人々の心の悩みや苦しみを救うと説かれ、「いつ、いかなる困難に出会っても、観音菩薩は慈悲の心で常に人々を見守っておられる、観音様にお参りし手を合わせることで私たちを救ってくださる」という信仰が生まれたのです。この観音信仰はいつの時代も、日本人の心を救い、拠り所になってきました。
 折しも2018年、西国三十三所は草創1300年を迎えます。今や国内外から多くの参拝客が訪れ、日本が世界に誇る代表的な巡礼路(みち)として、新たな歴史を刻み始めています。これを機に、西国三十三所が日本の観音文化及び巡礼文化の始まりであることを、より多くの皆様に周知されるよう祈念いたします。

西国三十三所札所会 会長 石山寺座主 鷲尾遍隆

西国三十三所について

 西国三十三所は約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。養老2年(718)、大和国長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王からお告げを受け、起請文と宝印を授かりました。その宝印を極楽浄土への通行証として観音菩薩が示された形になったのです。
 巡礼路の総距離は約1000キロメートルに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸びています。中世日本の首都であり文化の中心地である京都に三分の一の霊場が集中していることから、観音信仰文化と巡礼文化は全国に広がりました。また観音菩薩の美しさは海外からの注目を集め、今では多くの外国人が訪れる世界的な巡礼路になっています。

西国三十三所 草創1300年 「いまこそ慈悲の心を」

平成30年(2018)は、かつて大和国長谷寺の開山徳道上人が病にて仮死状態になられた際、冥土で閻魔大王に会い、「生前の悪い行いによって地獄へ送られるものが多い故、観音の霊場へ参ることにより功徳が得られるよう、人々に観音菩薩の慈悲の心を説け」とのお告げを受け、起請文と宝印を授かって現世に戻され、その証拠でもって人々に観音信仰、及びその霊場へ参ることをすすめられた養老2年(718)より、数えて1300年になります。徳道上人が極楽往生の通行証となる宝印をお配りになったという場所は、観音菩薩が衆生を救うために示現された霊験所や寺院でした。
 このことにより、やがて観音霊場を巡る西国三十三所という信仰となり、西国三十三所は日本最古にして、巡礼の元祖となりました。
 この徳道上人の徳行を鑽仰(さんごう)し、西国三十三所札所会では西国三十三所草創1300年「いまこそ慈悲の心を」として全札所寺院において平成28年3月より同32年にかけてさまざまな事業を催すことにしました。
 そもそも、この三十三という数字は『法華経』普門品第二十五(観音経)に説かれ、観音菩薩が33の姿に身を変えて人々の心の悩みや苦しみを救うとあります。いつ、いかなる困難に出会っても、観音菩薩は慈悲の心でもって常に人々を見守っておられ、一心にその名前を称え、「念彼観音力」(ねんぴかんのんりき)を心に念ずれば、ただちにその声に応じて私たちを救ってくださいます。
 私たちは、物の豊かな時代にあって、さまざまな歴史や文化を背景とした異なる価値観が交差し、急速に変わりゆく現代社会の中で、忙しく毎日を生きつつ、人間である限り、国や時代を問わず、幸せを願いながら悩みや苦しみ、不安な気持ちをかかえて過ごしています。
 このような時、西国三十三所の観音菩薩にお参りし、手を合わせることによって、心の中に波立つさまざまな苦しみや悩みがしずまり、自分自身を見つめ直し、人を思いやる慈(いつく)しみの気持ちを持つようになり(現世安穏)、そして、観音菩薩の御前で心をひらくことによって、それぞれの人生をふりかえり、心を洗い清めれば、極楽往生の一歩となる(後生善処)でしょう。
 これが現代の西国三十三所巡礼ではないでしょうか。総距離1000キロメートルを超える道のりは、1300年もの間、老若男女を問わず、多くの人々の歩いた道であり、一人一人が観音菩薩とともに充実した人生を歩んだ心の巡礼であります。
 ぜひこの機会に、観音菩薩とご縁を結んでいただき、幸せで心安らかな人生をお過ごしいただけますことを祈念し、西国三十三所草創1300年「いまこそ慈悲の心を」の慶讃期間といたしました。
 関係各位の皆様には、何卒この趣旨をご理解いただき、ご賛同、ご協力賜りますよう、ここにお願い申し上げます。

合 掌